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緊急事態条項は必要か

2月5日の立憲デモクラシーの公開シンポジウム「緊急事態条項は必要か」はとても公共性の高いものだったと思います。何しろ国の最高法規にかかわるものですし。公共性の高さと自分の勉強のために冒頭の長谷部先生のセッションを自分なりにまとめました ツイッターに連投しようかと思って文章を作っていたら長くなってしまいました 長谷部先生は「緊急事態条項」は不要ときっぱりと断言された。それにはいくつかの論点があった。一つはテロ事件があったフランスの事例。フランス政府が現在発令している非常事態宣言は、1955年の法律に基づくもので憲法とは無関係ということ。 次にフランス憲法16条には緊急事態条項があるが非常に使いづらい規定ということ。発動するには国の独立、領土の保全などが重大かつ直接に脅かされかつ公権力の適正な運営が中断されるというように厳しい要件があり、過去一度アルジェリア軍の反乱の際にしか用いられていない 同じくフランス憲法36条に戒厳令に関する規定がある。これは軍に治安維持と裁判・司法の機能を委ねるもの。いまどきこのような規定が使われることがない。過去に一度も発動されたことがない。このことからフランスの非常事態宣言はあくまで法律上の措置である テロ事件を受けてフランス政府は憲法改正を検討しているが、これはテロ犯罪で有罪とされた者が二重国籍保持者である場合にフランス国籍を剥奪する規定を憲法に盛り込むものであり二重国籍を認めない日本とはあまり関係がない ドイツはボン基本法に防衛上の緊急事態条項がある。だが、これはドイツが連邦国家だから存在する条項。ドイツは立法・行政の権限が州政府に分割されているので緊急時に州の権限を連邦に吸い上げる必要がある。連邦制ではない日本とは無関係である。 日本には災害対策基本法や有事法制など、現時点でこれくらいのものが必要ではないかとするものは、すでに法制化されている。これ以上何か立法が必要であるのならば、国会で新たに立法すればよいだけのことである。 さらにその内容も刑事手続上の身柄の拘束期間を若干延長するといった極めて限定的なものであり、特別な権限を発動するときは連邦の憲法裁判所がきちんとコントロールすべきという定めをおいている アメリカ合衆国憲法には緊急事態や非常事態に関する条項が極...

講演のメモから:立憲主義と新9条論と9条削除論

立憲主義と民主主義は必ずしも協調しない。むしろ緊張関係にある。 民主主義とは権力を作り出すこと、権力が行使されるということであり、積極的な作用がある。 一方、立憲主義は政治権力を抑制する。権力に対してブレーキをかけるネガティブな要素がある。このように立憲主義と民主主義には緊張関係があるということであり、繊細な働きかけが求められるということである。 こうした観点に立つと、改憲論とは民主主義の側から出てくるになる。ここに注意する必要がある。 改憲論では96条の改憲がまず持ちだされたが、この前後から憲法を改正するということは、民主主義的であるという論点が出てきた。大阪の橋下元市長が、改憲とは民意を聞くことであるとした。 改憲手続きは、そもそも国民は発議をすることができないシステムになっている。3分の2以上の国会議員による発議が必要である。今のように首相が先頭に立って改憲を訴えるのはどういうことかを考える必要がある。 国民投票の類型には、国民からの要求が反映された「レファレンダム」と、政治家が上から動員する「プレシビット」という類型がある。今回の動きは後者にあたる。 私たちの体制は純粋なデモクラシーとはいえない。社会のシステムの中に権力の暴走を抑える仕組みが内在されている。 橋下元市長は憲法をどんどん改定すべきだというが、そうではなく、もう少し良く考えて、法律のようにコロコロ変えるのではなく、どうしてもという時だけ変更するというようにしたほうがよいのではないか。 そうすると、そうしたブレーキは反民主主義ではないかという反論がある。しかし、そもそも私たちの社会は民主主義と立憲主義の混合的体制、ハイブリットにできているものなのである。 そのうえで、現在の憲法改正議論をどのように捉えたらよいか。憲法改正の限界という論点がある。 憲法を改正するには二つの方法がある。一つは、憲法の規定に従った通常の改正。もう一つは、まったく違う憲法をつくることだ。 大日本帝国憲法から日本国憲法への改正はこのどちらにあたるのか。たしかに、手続き上は国会を通じて改正されたが、天皇から国民に主権者が変わるという大きな変化があったことから、「8月革命」説という説明もなされてきた。 憲法は自分を壊すような改正をすることはできない。根本的に変えることを迫られる事態に...

15ドルを求める闘い

●メモ ステファニー・ルースさん(ニューヨーク市立大学マーフィー研究所)の講演より2015年11月11日   2000年に来日したときにワーキングプアの広がりについて話した。15年後も同様にワーキングプアが世界的に広がっている。先進国ですら多くの貧困状態の労働者がおり、大企業でも低賃金労働者が増えている。  近年では「ゼロ時間契約」という雇用形態もある。このような雇用形態の代表格がウォルマートである。ギャプやマクドナルなどほかにもこうした雇用形態を用いる企業はたくさんある。  低賃金労働はファストフードや販売の仕事だけでなく、医療などの他業種にも広がっており、最近では高学歴の医者や弁護士にも増えてきた。  こうした問題はなぜ起きているのか。お決まりの説明は、「テクノロジーの進化」と「労働者のスキル不足である」。  しかしデータを分析すると、最も増加している職業は学歴やスキルを求められていない仕事である。米国では増加するトップ20の職業のうち高卒以上の学歴が求められる仕事は5つしかない。そのほとんどが訓練の必要のない仕事ばかりである。  テクノロジーが進化したから雇用の質が高まるというわけではない。  一方、製造業からサービス業への転換が低賃金労働の要因として語られる。たしかに産業の転換は生じている。しかし、それが低賃金である必要はない。デンマークのマクドナルドとアメリカのマクドナルドでは時給がことなる。米国内でも労組がある州とそうでない州とで時給が異なる。  製造業はかつて危険で低賃金の仕事だった。それを持続可能にできたのは、法と労働組合の活動によるものだ。  雇用が劣悪化する要因は、スキルと産業構造の転換とは無関係。もう一つの原因はグローバル化だ。これには真実がある。  企業は労働者が賃金引き上げを要求したり、労働組合を作ろうとしたら、海外に職場を移転すると威嚇してきた。  労働者の分断のために移民労働者を利用してきた。そして投資協定を締結し、企業の権利を強化し、労働者の権利を弱めてきた。  こうしたグローバル化は、ポジティブなグローバル化ではなく、経済の新自由主義化である。そのもとで、民営化、金融化、規制緩和、緊縮財政が用いられてきた。  「柔軟性」は、その一つの指標である。柔軟性は労働者に一見聞こえがよいが、政策...